親鸞聖人について

西本願寺公式サイトより引用

親鸞聖人しんらんしょうにんは平安の末期、承安じょうあん3年(1173)5月21日(新暦)に、現在の京都市伏見区日野の里に誕生され、9歳で出家をされました。

当時は、保元ほうげんの乱(1156)、平治へいじの乱(1159)といった国を揺るがす大きな争いが続く、戦乱の世でした。それに加えて、養和ようわ大飢饉だいききんをはじめとした天変地異も起こっていました。

親鸞聖人が出家得度とくどされた動機は、はっきりとわかっていませんが、このような時代背景も影響があったと考えられます。

その後、比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじで学問修行に励まれましたが、29歳の時、師・源空げんくうの導きによって、20年間学んできたりきしょうどうもんの教えと決別し、りきじょうもん、つまり念仏の教えに帰依きえされました。

しかしながら、念仏一つで救われていくその教えは、庶民からさんごうされかんげいされた反面、当時の仏教界からは「民衆に迎合している教えである」と、激しい非難と攻撃にさらされることになりました。

そのことが引き金となり、35歳で越後へ流罪るざいに処されることとなりました。

その後、恵信尼公えしんにこうと結婚され、共に関東に移って念仏の教えをひろめられました。

関東在住20年を経過した62歳頃、京都へ戻られ、晩年は執筆活動に力を注ぎ、弘長こうちょう2年(1263)1月16日(新暦)、三条富小路とみのこうじにあった弟・じんの善法坊において90歳で往生されました。